流浪の月 凪良 ゆう

凪良ゆう
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~愛ではない。けれどそばにいたい。~
わたしは、これを、なんと呼べばいいのかわからない。

こんにちはくまりすです。今回は映画も公開される本屋大賞受賞作凪良ゆう流浪の月』をご紹介いたします。

story:

家族ではない、恋人でもないーだけど文だけが、わたしに居場所をくれた。彼と過ごす時間が、この世界で生き続けるためのよりどころになった。それが、わたしたちの運命にどのような変化をもたらすかも知らないままに。それでも文、わたしはあなたのそばにいたいー。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。本屋大賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

普通

両親との別離によって孤独になった更紗はある日、文という青年と出会った。自分と同じような悩みを抱えていると感じた更紗は、彼と心を通わせていく。しかし、世間は小学生の更紗と大学生の文との心の交流を理解しません。

何も知らない子供は無邪気で自分の気持ちに正直です。居場所が欲しい、自分の気持ちをわかって欲しい。そんな当たり前の欲求を得るのに「常識」や「普通」という鎖に縛られてはいないのです。

「文、わたし、文に誘拐されたことになっているの?」

この二人に対して理解を示す人もいれば、嫌悪感を示す人もいるでしょう。
人は本能的に少女の危機を想像します。嫌悪感はこの危機を察知するのに大切な感情です。
いくら多様性が叫ばれている今日でも理解が及ぶ範囲、そして罪の境界線は存在します。

文との時間が終わるのだという恐怖を、わたしは全身で感じている。

それは罪なのでしょうか…

孝弘のあの言葉は、なかなかに世間というものの正体を表していたのだ。

常識」や思い込みによって「真実」が捻じ曲げられていく不条理になすすべもなく、次第に二人は世間の好奇な目に追い詰めてられていく…。

個性

人は、小さい頃から心にたくさんの小さな、あるいは大きな傷を負います。そして、その傷を繰り返すことのよって強くなります。でも、もしかしたら痛みに鈍感になっていだけなのかも知れません。なぜなら、そのかさぶたがはがれた時、痛みは大人でも耐え難いものがあるからです。

誰かに打ち明けて助けてもらいたい。でも口にする勇気がない。苦しい。助けて。誰か気づいて。でも気づかないで。重い荷物を担いで歩いていかなくちゃいけないしんどさを、わたしは知っている。

作品全体に漂う息苦しい閉塞感。しかし、生きることへの静かな決意や覚悟に力強さを感じます。それは悩み苦しみぬいた上で見つけた自分だけの答えだからでしょうか。

ーあいつらはスイッチがあってさ、そこ押されるともう止まんないのよ。
押されてしまえばジ・エンドのスイッチがついている人がいる。そのスイッチを、わたしも持っている気がする。

あなたは理解できる?それともできない?
その傷を持っている人とそうでない人との捉え方は全く違います。
同じ傷を持っている人がいる。あなたはこの二人に救われるかもしれない

感想

我々は人間が集団活動するために作られたルールに合わせて生きています。小さい頃からそのルールを教えてもらい、そこから外れることの愚かさや怖さを見聞きして、潜在意識として植え付けられています。特に協調性を重んじる日本ではその傾向は強いではないでしょうか。

そのルールは常識であり、「普通」という言葉で我々を制御します。「普通」の枠組みから外れると「異常」であり、「奇異」であり、「尋常」ではないという無意識の方程式があります。
多くの思想の最大公約数で作られた「普通」に違和感を覚えたとしてもこれらのレッテルを貼られるのが怖くて、それを口に出す事が出来ない人は数多くいるでしょう。

また、人は自分の理解に及ばないものに対して、恐怖を覚えます。ですから、自分たちのわかりやすいようにカテゴライズして理解を深めようとします。右か左か分からない状態はとてもしんどく、早くカテゴライズをして結論づけようとします。

この物語の主人公達も、世間から見れば理解できない考え方や行動をしているように見えます。ですから、○○症候群だと自分たちにわかりやすいように型にはめるのです。
読者もまた共依存だ、ソウルメイトだなんて言ってこの二人の気持ちに名前を付けるかもしれません…。「普通」かそうでないかを無意識に分けるカテゴライズとその名前。

その表現は100%間違っているものではなく、勿論100%正しいものでもないでしょう。少しずついろんな感情が混じりあって、名前のないものになってるのだと思います。その気持ちに寄り添うとすれば、その都度、心の声に耳を傾けるしかない。その断片を少しずつ拾っていくしかない。

先日、芥川龍之介の誕生日があり、彼の死の理由として「ぼんやりとした不安」という有名な言葉があることを思い出しました。「ぼんやりとした不安」とは何か。文豪芥川ですら様々な思いが入り混じった自分の気持ちに名前を付けることができないのに、我々がどうして他人の気持ちに名前を付けることが出来ようか。名前を付けることで分かった気になってるのではないだろうか。大事なのは名前を付けることではなく、その気持ちの正体を知ることだと思っています。

著者:凪良ゆう(ナギラユウ)
滋賀県生まれ。2007年、『花嫁はマリッジブルー』で本格的にデビュー。以降、各社でBL作品を精力的に刊行。巧みな人物造形や展開の妙、そして心の動きを描く丁寧な筆致が印象的な実力派である。19年に刊行した『流浪の月』が、多くの書店員の支持を集め、2020年本屋大賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(「BOOK」データベースより)

映画『流浪の月』5月劇場公開:予告動画 広瀬すずさん&松坂桃李さん主演、映画監督・脚本を「怒り」の李相日さん、撮影監督を「パラサイト 半地下の家族」のホン・ギョンピョさん

コチラも人気:凪良ゆう『わたしの美しい庭」👇

story:小学生の百音と統理はふたり暮らし。朝になると同じマンションに住む路有が遊びにきて、三人でご飯を食べる。百音と統理は血がつながっていない。その生活を“変わっている”という人もいるけれど、日々楽しく過ごしている。三人が住むマンションの屋上。そこには小さな神社があり、統理が管理をしている。
地元の人からは『屋上神社』とか『縁切りさん』と気安く呼ばれていて、断ち物の神さまが祀られている。悪癖、気鬱となる悪いご縁、すべてを断ち切ってくれるといい、“いろんなもの”が心に絡んでしまった人がやってくるがーー(出版社より)
読書ブログはコチラ☛『わたしの美しい庭』凪良ゆう
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