まいまいつぶろ 村木 嵐

読書日記
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~そなたは決して、長福丸様の目と耳になってはならぬ~

こんにちは、くまりすです。今回は直木賞候補作村木嵐まいまいつぶろ』をご紹介いたします。

story:

口がまわらず、誰にも言葉が届かない。歩いた後には尿を引きずった跡が残るため、まいまいつぶろと呼ばれ蔑まれた君主がいた。常に側に控えるのは、ただ一人、彼の言葉を解する何の後ろ盾もない小姓・兵庫。麻痺を抱え廃嫡を噂されていた若君は、いかにして将軍になったのか。第九代将軍・徳川家重を描く落涙必至の傑作歴史小説。(「BOOK」データベースより)

家重と忠光

徳川将軍と聞いて、まず最初に誰を思い浮かべますでしょうか?
昨年の大河ドラマの主人公・徳川家康、暴れん坊将軍こと徳川吉宗、最後の将軍・徳川慶喜など、265年もの間、十五代にわたって日本を統治した征夷大将軍の物語はどれも面白く、多くの人に親しまれていますね。しかし、中には殆どスポットが当たらない将軍もいるようです。

あるネットサイトでは徳川十五代将軍人気ランキングなるものが発表されており、投票数によって順位づけられていました。その中で最下位だったのが、第九代将軍・徳川家重。
名前を聞いても、あまりピンとこない人も多いのではないでしょうか。
時代小説『まいまいつぶろ』は、この家重と忠臣・忠光を描いた物語。

江戸町奉行、大岡越前守忠相はある日、長福丸(家重)の乳母であった滝の井から予想だにしなかった驚くべき話を聞かされます。

「今日は他でもない、長福丸様の御事でございます」
「これはこれは。それがしなどがお聞きして良いことでございましょうか」
(中略)
「越前殿」
「はあ」
「長福丸様の御言葉を聞き取る少年が現れたのです」
「え…」
忠相は我にもなく絶句してしまった。長福丸には幾度か拝謁したことがあるが、声は「あ」と「え」の混ざった音にしか聞こえず、首を動かすのでようやく是か非かが分かるだけである。麻痺で引き攣れた顔は表情にも乏しく、暗い印象しか残らなかった。

(第一章「登城」より)

徳川吉宗の嫡男である長福丸は生まれつき障害があり、他者との意思疎通が困難でした。反対に長福丸の弟・小次郎丸(宗武)が格別に利発であるため、周囲の多くは弟の方を次の将軍だと考えており、吉宗にとっても悩みの種となっていたようです。
そんな中、突然現れた長福丸の言葉を理解する少年。それが、大岡忠相の遠縁にあたる大岡兵庫(忠光)でした。

誰もが聞き取れなかった長福丸の言葉を唯一解する少年の出現。まさに、奇跡とも言うべき出来事ですね。長福丸に将軍への道が開けると同時に、兵庫も当時ではあり得ない出世を約束されたも同然なのですが…

「それで、その者は真実、長福丸様のお言葉を解しておるのでしょうか」
(中略)
忠相は内心、ため息を隠していた。
口のきけぬ将軍に、一人だけ言葉のわかる小姓が侍る。これはまさしく老中さえも遠ざけた側用人制の復活だ。
(中略)
「滝乃井殿。下手をすればこちらが騙されると申しておるのです」

(第一章「登城」より)

忠相でなくとも首をかしげたくなるでしょう。
兵庫は本当に長福丸の言葉を理解しているのか、確かめようがありません。また、兵庫がその地位を利用してよからぬ考えをおこさないという保証はどこにもありません。
忠相は迷いながらも、兵庫を呼び出しますが…

感想

昨年、野球界の話題を席巻した大谷翔平選手。シーズンオフに入っても規格外のビッグニュースで世間を驚かせました。彼の超人的な活躍の影には、「翔平の最高の相棒であり、親友」と称される、通訳・水原一平さんの存在がありました。大谷選手をして「一番お世話になった人」である水原さん。その黒子に徹した仕事ぶりは、米メディアにも「生死も共にするような仲」と言わしめたほど。

現代では最強の相棒と称えられるそんな関係も、江戸時代の縦社会においては繋がり方が異なったようです。
「小便公方」と揶揄されていた家重と、将軍の口役に徹した忠光。物語はこの二人に焦点を当てながらその時代の有様を描いたもの。二人の息の合ったやり取りからは、義兄弟にある信頼関係や、長年連れ添ったおしどり夫婦のような以心伝心を感じられる瞬間がありました。しかし、それ以上に己の立場や役割を重んじる武士の道徳が表れており、バディを越えた精錬な魂の繋がりが美しい。
主従関係でありながら阿吽の呼吸で政を行う姿は、爽快でさえあります。いつの間にか、二人の一挙一等足を目で追ってしまい、物語に引き込まれていきました。

実際の家重像はと言うと、その病のため多くが謎に包まれているようです。ひょっとこのように口を尖らせた肖像画と、そうでないものの2種類があったり、実は女性だったという異説があったり。遺跡発掘調査の結果、歴代徳川将軍の中では一番顔が整っていたという報告も。
また、将軍としての能力においても、「無能だったが、優秀な部下に助けられた」という評価がある一方で「隠れた名君である」と言う人もいて、様々。

ともあれ、忠光と家重が一心同体であったことは事実。
お互いを尊敬し、尽くし、大切に思う。相手を敬う気持ちはきっと伝染するのでしょう。温かい物語に癒され、涙せずにはいられませんでした。

著者:村木嵐(ムラキラン)
1967年、京都市生まれ。京都大学法学部卒業。会社勤務を経て、95年より司馬遼太郎家の家事手伝いとなり、後に司馬夫人である福田みどり氏の個人秘書を務める。2010年、『マルガリータ』で第十七回松本清張賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(「BOOK」データベースより)
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