~思い出すことは、世界に出会い直すこと。言葉にならない感情を呼びさましていく傑作小説集。~
こんにちは、くまりすです。今回は芥川賞受賞作、井戸川射子『この世の喜びよ』をご紹介いたします。
story:
娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。言葉にならない感情を呼びさましていくかつての子育ての日々を思い出す女性ー「この世の喜びよ」。
ハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦ー「マイホーム」。
父子連れのキャンプに叔父と参加した少年ー「キャンプ」。(「BOOK」データーベースより)
あなた
大人であればしみ込んでしまっている習慣やクセの1つや2つは誰にでもあるのではないでしょうか。時にそれがその人の人となりを表し、歩んできた人生の足跡が垣間見えることも。何かのきっかけがあって習慣やクセとなるわけですが、そのエピソードは意外と覚えていないもの。何気ない景色をぼんやり見ていた時に、たわいもない会話の端々に、懐かしい記憶とともに蘇ってくることもあるかもしれませんね。そんな時、それが温かい思い出であれ苦い経験であれ、その頃の自分を慈愛のこもった眼差しで見つめるはずです。
「汚れちゃうから」
少女は手を小さく振って断るが、いいの、捨てていいの、子どもが小さい時からね、床を拭いてそのまま捨ててもいいようなタオルを、いつも鞄に入れているの、とあなたは答える。
(中略)
上の娘が一度、おもちゃ売り場でおしっこを漏らしてしまった時、あなたはとっさに下の娘のよだれ掛けを剥ぎ取りそれで拭いた。床に落とされたよだれ掛けは、首もとに収まっている時より薄く見え、もちろん先によだれで濡れていたので、吸い込めなかった分が床で光っていた。靴でもみ消すようにすると広がるだけだった、あの失敗と反省が、あなたに小さなタオルを持ち運ばせ続ける。
ここで呼びかけられている「あなた」は主人公の喪服売り場の女性を指しています。最初は少し混乱するかもしれません。主人公の女性を「彼女」ではなく「あなた」と表現することで、読者は自身が呼びかけられている錯覚を起こし、喪服売り場の女性と同化して、彼女の心情がこちらに流れ込んでくるような感覚になります。また、母親が子供を慈しむような優しさも感じられます。
「あなた」が夢中で子育てしていた頃の日常のハプニング。「あなた」の脳裏に焼き付いている記憶は鮮明で、まるでスローモーションで再生されているかのようです。
二十三歳なら、引越しは楽しかっただろう。多田と話す時あなたはいつも、二十三歳の自分を一度思い出してから話し出すので、少し返事が遅れてしまう。もう一人挟んで会話しているのだから仕方ない。
喪服売り場の正面の店で働いている多田青年。誰かと話す時「あなた」はまず自身のその頃を思い出します。その年齢の時の自分と比べたり、その頃の日常の風景を思い出したり。「あなた」は相手との距離が近づき個性が現れると共に自身の輪郭も浮かび上がってくるような感覚になってきます。同時に、読者にとっても彼女が「穂賀ちゃん」「穂賀さん」と名前を呼ばれることで喪服売り場の女性というぼんやりしたものから一人の女性の人格がより鮮明な存在になってきます。主人公の「あなた」と読者の感情がシンクロした時、暖かく懐かしい感情が流れ込んでくるでしょう。
感想
「あっ、そういえば芥川賞は純文学の賞だった」と思い出させてくれる作品でした。
純文学は芥川龍之介が晩年主張していた「”筋の面白さ”は、小説の芸術的価値とは関係しない」という考え、つまり「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置く小説のことを指します。
著者の井戸川射子はデビュー作品で中原中也賞を受賞しており、詩人の顔も持っ作家。そのためか一文一文に芸術的な繊細さが感じられ、内面が浮き出る言葉は詩のようでもあります。主人公を「あなた」と呼びかけたり、話し言葉の緩急を表現するように言葉を区切ったり。一つ一つの言葉が力強く、独特な文章のリズムが感じられます。
また、描写の多くが状況を説明するのではなく、感情を表現しているのも特徴的。
『「どういふわけでうれしい?」という質問に対して人は容易にその理由を説明することが出来る。けれども「どういふ工合にうれしい」といふ問いに対しては何人も容易くその心理を説明することはできない。』
これは詩人萩原朔太郎の言葉。著者の文章はまさしく、朔太郎の言う「内部の核心である感情そのものの感触」があり、詩的な表現なのではないでしょうか。
一方で、感情の表現に重点を置いたため、状況が掴みづらかったり、ストーリー性が薄く感じられる人もいるかもしれません。また、意味を伝えやすくするためではなく、感情を表すために句読点を置いていると思われる文章もあるので、読みづらさを感じる人も。
正直に申しますと、私も戸惑いました。一文を読み直したり、頭の中で勝手に句読点を付けなおしたり。しかし、噛みしめながらにゆっくりと読むと心に沁み込んでくる言葉が沢山ありました。
「母」として生きる女性の内面が生々しく、そして「母」のノスタルジーを感じられる。著者の感受性の強い表現は詩人なればこそ紡げる文章。頭で読むのではなく心で読む小説。この作品は小説と詩が合わさった新しい形の小説なのではないでしょうか。
1987年生まれ。関西学院大学社会学部卒業。2018年、第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行。2019年、同詩集にて第24回中原中也賞受賞。2021年、小説集『ここはとても速い川』で第43回野間文芸新人賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(「BOOK」データーベースより)
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