~降りかかる理不尽は「文明」を名乗っていた。樺太アイヌの戦いと冒険を壮大なスケールで描く、歴史小説~
こんにちはくまりすです。今回は直木賞受賞作川越宗一『熱源』をご紹介いたします。
story:
故郷を奪われ、生き方を変えられた。それでもアイヌがアイヌとして生きているうちに、やりとげなければならないことがある。北海道のさらに北に浮かぶ島、樺太(サハリン)。人を拒むような極寒の地で、時代に翻弄されながら、それでも生きていくための「熱」を追い求める人々がいた。明治維新後、樺太のアイヌに何が起こっていたのか。見たことのない感情に心を揺り動かされる、圧巻の歴史小説。(「BOOK」データーベースより)
故郷
北海道の北方にあるサハリン(樺太)は北海道よりやや面積が小さいながらもロシア最大の島。この島の北緯50度を国境として北樺太(サハリン)と南樺太(サハリン)に分けられます。現在北樺太はロシア領ですが、帰属未確定地の南樺太はロシアが実効支配しています。
元々は無主地だったサハリン(樺太)を、日本とロシアがこの地に進出して領土を奪い合い、日露戦争や第二次世界大戦を経て現在に至ります。
この物語は二つの国に翻弄され続けたアイヌと、サハリンの民族研究家のポーランド人の二人の生涯と激動の時代を描いています。
「”あ、犬”か」
これは、和人からアイヌに投げかけられた言葉。随分なケンカの売られ方ですね。和人にとってアイヌは文明を持たない野蛮人として見られていました。
樺太がロシアのものとなった時、八百人以上のアイヌが北海道へ移り住みました。アイヌのヤヨマネクフが9歳頃です。
対雁村の学校へ通うようになった彼はそこで、立派な日本人になるよう、また、文明的な暮らしをするように教えられます。
文明的な暮らしに近づくほど、アイヌでなくなるような気がするヤヨマネクフ。彼はそこでの生き方を模索し、ささやかな幸せを手に入れたと思われましたが、ある伝染病が村を襲いますー。
「人民に権利を!」
ロシアから国事犯としてサハリンに流刑になったポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキ。
「あと十五年。いや、二十五年ー」地獄のような過酷な開拓労働の中、彼はサハリンの民族、ギリヤークに出会い、生きるための熱をもらいました。彼らと交流を重ね風俗や語学を調べていたブロニスワフは、同じ流刑処分を受けていたレフ・ヤコヴレヴィチ・シュテルンベルクに出会い、民俗学の論文を書くように勧められます。
「島から出られるかもしれないぞ」
喜ぶブロニスワフに、シュテルンベルクは民俗学は植民地を持つ列強諸国の大義名分になると言い放ちー。
それぞれ故郷を奪われた二人。郷愁にかられる彼らは自分の生きるべき場所を求めます。しかし、日本とロシアの緊張関係が高まっていきー。
民俗学
この物語の中心は故郷を奪われた人々の群像劇ですが、アイヌの風俗や習慣など民俗学的視点においても面白い。
針葉樹林の森、雪と海水に閉ざされる大地、トナカイを飼う民族、犬ぞりを使う民族。そんな神秘的な風景と身を切るような寒さの中で生きる民族はどういう暮らしをしていたのか。
冬の間、ギリヤークたちは森に作った円錐の屋根を葺いた半地下居住で暮らす。樹木が風邪を遮り、土の中は暖かいからだ。秋までのうちにこしらえた干魚で食いつなぎ、足りなくなれば森や凍原での猟で補う。また黒貂を獲って現金を得て、砂糖や茶、石鹼など、文明がもたらした日用品を贖う。アザラシの肉と油も重要で…(後略)。
また、アイヌは人間が逆らうことの出来ない自然の事象や動植物などにも神(カムイ)の存在を見いだし築いてきました。「熊送り」という儀礼や入墨の習慣など、驚くべき伝統文化が数多く描かれています。
アイヌの文化は野蛮なものだという人々。文明的な暮らしによって得られるものと失うもの。
生きるために大切なものは何なのか?生きようとする「熱」は何処から来るのか?
この物語はその正体を知る歴史の旅でもあります。
感想
私は小さい頃から冒険の物語が好きで、そういった要素のあるアニメや、ファンタジー小説などをよく読んでいました。でも、それは言ってみれば、空想の世界であって、例えば南極物語や、十五少年漂流記などの実話に基づいた話であったとしても、私にとっては遠い世界の痛みを伴わない武勇伝のようで、ドキドキワクワクがいっぱい詰まった夢の中の物語でした。
この小説も私の好きな冒険小説で、激動の時代に生きたアイヌとポーランド人二人の壮絶なる人生が生き生きと描かれている。
この小説が出版され、直木賞を受賞した2019年にこの物語を読んだらきっと胸を躍らせながら読んだに違いありません。
しかし、この本が出版されてからほんの3年間の間に、この現実世界に戦争が起き、疫病が流行し、つい先日には日本の元首相の悲劇を目の当たりにしました。そして、これらに伴う生活様式の変化や、次から次へととめどなく続く物価の値上げなど私たちの日常への影響も甚大です。出口の見えない不安や、我慢を重ねて日常を送っているまさに今とこの物語がシンクロしているところも多いように思います。
そのため、この物語を読んでいると、とてもつらい気持ちになる場面もありました。彼らのやりきれなさや、立て続けに起こる災難や、ずっと身近にある死、持って行きようのない不安やしんどさも自分の事のように感じながら読みました。
一方で樺太犬と共に南極点を目指すシーンはとても冒険心がくすぐられ、どんなことがあっても果敢に未来へ向かっていく彼らの背中を見たような気がします。
家族同然の樺太犬、そして家族や仲間のいるふるさと。生きるための情熱を自分の中に持ち続けていた彼ら。私もまた彼らから「熱」をもらいました。
1978年、大阪府生まれ。龍谷大学文学部史学科中退。2018年、「天地に燦たり」で第25回松本清張賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(「BOOK」データーベースより)