掌に眠る舞台 小川 洋子

小川洋子

~演じること、観ること、観られること。ステージの彼方と此方で生まれる特別な関係性を描き出す、極上の短編集~

こんにちは、くまりすです。今回は海外でも高い評価を得ている日本を代表する作家、小川洋子の『掌に眠る舞台』をご紹介いたします。

story:

「だって人は誰でも、失敗をする生きものですものね。だから役者さんには身代わりが必要なの。私みたいな」帝国劇場の『レ・ミゼラブル』全公演に通う私が出会った「失敗係」の彼女。金属加工工場の片隅で工具たちが演じるバレエ『ラ・シルフィード』。お金持ちの老人が自分のためだけに建てた劇場で、装飾用の役者となった私。-さまざまな“舞台”にまつわる、美しく恐ろしい8編の物語。(「BOOK」データーベースより)

舞台という名の世界

あるマンションの部屋で亡くなった女性を発見した管理人。整理整頓された部屋にほっとしたが、ベットの下を覗いて息を呑んだ。そこにあったものはー。(「花柄さん」より)

ベッドの下には、何かが…何か、という以外に表現のしようのない何かが、びっしりと詰まっていた。(中略)しかし、ベッドの底板と床、四、五十センチほどの間は、ただひたすら奥の隅々まで、波打つ地層のような、縞模様の重なる岩石のような物体で埋め尽くされ、一分の隙もなかった。

一瞬、管理人は女がこの中に埋まっているのではないかと錯覚し、両ひざをついたまま後ずさりした。
これが、ベッドの下の堆積物が他人の目に触れる初めての機会となった。女は、死ぬまでそれを、自分一人きりのものとして守り抜いたことになる。

必要最低限の質素な家具に、ワックスで磨き込まれた床。つつましく丁寧に生活していた様子がうかがえる女性の部屋ですが、その想像を打ち消すような違和感のある物体。ベッドの下にあったこの女性の秘密は何でしょうか?この女性の切ない物語が幕を開けます。

女はとある界隈で、花柄さん、と呼ばれるちょっとした有名人だった。

いつも花柄のスカートを穿いていたため、こう呼ばれるようになった花柄さん。あまり目立たなかったという彼女、その性格や、部屋の様子から地味な女性のイメージですが、どうして花柄のスカートばかり穿いていたのでしょうか、気になります。
彼女は仕事の息抜きに劇場お芝居を見に行くことが趣味でした。ある日、トラブルに巻き込まれたことから楽屋口の存在を知った花柄さんは、そこで初めて舞台を降りた役者の姿を目にしたのです。

その時、楽屋口から一人の男性が出てきた。ファンを制止する関係者の姿も、迎えの車もなかった。(中略)兵士1/その他、の役の人だ。

有名な俳優さんが帰ってしまい、役者を待っているファンもいなくなった時に出てきたチョイ役の男。彼はなんとなくその場に残っていた花柄さんに話しかけます。
どんな役の人でも舞台に出ていた役者さんというだけで特別な人という感じがしますね。ましてや話かけられると、うれしいやら緊張するやらで浮足立っても不思議ではありません。

自分に何が起こったのか、かみしめるまで少し時間がかかった。

花柄さんに起こった幸運な出来事。彼女にとってその喜びは、今まで味わったことのない特別なものでした。花柄さんはその日をきっかけに劇場に通うこと自体が喜びになったのですが…

日常と非日常が交差する幻想的な世界
この短編集は、大切な秘密を抱えた8人が主役の舞台。不思議で美しい物語の裏に隠されている正体に気づいてぞっとする。そっと狂気の世界へ引きずり込まれる物語です。

感想

現在、芥川賞や太宰治賞などの文学賞の選考委員を務めている小川洋子。著者を評する時、多くの賛辞で埋め尽くされます。
洗練された文章、抜群の筆力、卓越した表現力、唯一無二の世界観。
数々の文学賞を受賞した著者、その活躍は日本だけに留まりません。

英文学界最高峰とされるブッカー賞の翻訳部門「ブッカー国際賞」の最終候補のノミネートや、アメリカを代表する雑誌「ニューヨーカー」に日本人女性作家初の作品掲載。村上春樹と共にノーベル文学賞に近い日本人作家と言われ、海外でも評価が高く、複数の作品が翻訳されています。

私も、ベストセラー小説『博士の愛した数式』や、ファンからも人気の高い作品『人質の朗読会』などを読みすっかりファンになりました。映像のように頭に浮かびやすい描写と的確な言葉で、文章の質は高いのに読みやすいのです。

しかし、この作品は以前読んだ作品と比べて、印象が違うように感じました。
「あれ?」と思い、調べてみると、初期の装飾的な文体から円熟味を増している平易な文体で表すように表現が変化してきたとのこと。

この短編集はメタファーなど、少し曖昧であったり、詞的な表現が多く、まるで別世界にいるかのような、独特の世界観を醸し出していました。繊細さ、美しさの中に静かな狂気や妖艶さがあり、徐々に侵される毒にも似た読書体験でしたが、同時に翻訳小説のように感じる比喩の使い方も。

日本の小説では、比喩はわかりにくいものをわかりやすくするために使われます。しかし、翻訳小説は言語の壁などもあるせいか、むしろ難解になっているものも多くあります。複数の読み方ができ、読み手側に想像させる文章は正解が提示されているわけではないので、深読みが難しい部分もありましたが、新しい小川洋子の世界を味わえました。

著者の小説でしか見られない繊細で透明感のある幻想的な景色は唯一無二のもの。
海外でも根強い人気がある日本人作家、物怖じしないでこれからも積極的に読んでいきたい。

著者:小川洋子(オガワヨウコ)
1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。91年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞と本屋大賞、同年『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞を受賞。06年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞受賞。07年フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。13年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。20年『小箱』で野間文芸賞を受賞。21年紫綬褒章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(「BOOK」データーベースより)
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