ラブカは静かに弓を持つ 安壇 美緒

安壇美緒
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~武器はチェロ。潜入先は音楽教室。心震える「スパイ×音楽」小説~

こんにちはくまりすです。今回は本屋大賞候補作品の安壇美緒ラブカは静かに弓を持つ』をご紹介いたします。

story:

少年時代、チェロ教室の帰りにある事件に遭遇。以来、深海の悪夢に苦しみながら生きてきた橘樹は勤務先の全日本音楽著作権連盟の上司・塩坪から呼び出され、音楽教室への潜入調査を命じられる。目的は著作権法の演奏権を侵害している証拠を掴むこと。身分を偽り、チェロ講師・浅葉桜太郎のもとに通い始めるが…少年時代のトラウマを抱える潜入調査員の孤独な闘いが今、始まる。『金木犀とメテオラ』で注目の新鋭が想像を超えた感動へと読者を誘う、心震える“スパイ×音楽”小説!(「BOOK」データーベースより)

スパイとトラウマ

スパイと言えば潜入捜査。今人気のアニメ『SPY×FAMILY』やレオナルド・ディカプリオ扮する警察官がギャング組織に潜入する映画『ディパーテッド』など多くの人気作品があります。バレたら最後の極限の緊張感がたまらないですよね。

でも、それはエンターテイメントの世界の話。自身の身に置き換えて考えると、それはまた別の話です。

「二年間も、ミカサでチェロを弾いてこいって言うんですか?」
「その通りだよ、橘君。ただそれだけの話なんだ。組織持ちの経費で習い事に通えると思えば悪い話でもないだろう?」

ただそれだけって…。
主人公・橘樹は全日本音楽著作権連盟の社員。著作権をめぐって争っている音楽教室への潜入捜査を任命されました。上司の軽さがちょっと気になります。著作権は大事な問題ですが、弱みを掴むために相手を騙す行為が気持ちがいいはずはありません。憂鬱にもなりますよね。それに、彼には気乗りしない理由が他にもあるようで…

「君、チェロが弾けるんだってね?」
まるで予期していなかった単語が上司の口から飛び出して来たことで、橘の呼吸はピタリと止まった。(中略)
急に呼吸が苦しくなって、思わず橘は喉元を押えた。(中略)
突然降って来た特別な任務は、十二年ぶりにチェロを弾くことを求めていた。スパイ行為よりも何もよりも、その一点に心は乱された。

何やらトラウマを抱えているような橘の様子。十二年前、橘に一体何があったのか。果たしてそんな気持ちで潜入捜査が出来るのでしょうか。前途多難な任務にこちらまで胃が痛くなりそうです。

音楽と人とのつながり

タオルの男が破顔する。先程の受付の女性とのやり取りから見ても、人好きのする性格なのだろう。年は橘と同じくらいか、少し上くらいに見えた。(中略)
「あ、それ」
「え?」
「楽器に当たると傷がつくので、ペンは外しておいてくださいね」
一瞬、何かを勘付かれたのではないかと、ヒュッと首筋が寒くなった。すみません、とペンを外して近くの譜面台の上にさりげなく載せると、それを咎められることはなかった。
音もなく押された録音ボタンは、きちんと平たく引っ込んでいた。

潜入捜査を開始した橘ですが、最初からヒヤヒヤしますね。こんな調子で大丈夫でしょうか。
講師の名は浅葉桜太郎。ハンガリー国立リスト・フェレンツ音楽院卒業。クラッシック音楽の本場ハンガリーで、しかもあのリストの名を冠する名門校出身。こんな経歴の持ち主に教えてもらえるなんて幸運なこと。しかし、いくら任務とは言え、腕も人柄もよさそうなこの講師を欺くのは気が引けます。

戦慄きのラブカ。(中略)
「綺麗な曲だよ。綺麗だけど重たくて、暗くて静かで、独特の世界観がある」(中略)
そのメロディが耳に馴染んでいくにつれて、ふと、橘は奇妙な違和感を覚えた。チェロの響きがやけに深く、他よりも低いところへどんどん潜っていくような、言葉にしにくい恐ろしさを感じる。
万人に通じる類の恐怖とは違う。
おそらくは浅葉が綺麗と言っている、この曲の鋭利な暗さが怖いのだ。

音楽教室の発表会に出ることになった橘。講師の浅葉が橘のために選んだ曲は印象的なピアノイントロで始まる曲「戦慄きのラブカ」。橘は恐ろしさを感じるこの曲との因縁を知り戦慄します。嫌な予感を打ち消すようにレッスンに励みますが、その予感は現実のものとなり…。

感想

頭脳明晰で身体能力が高く、並外れた能力を持っている人物。一般的に、スパイはそんな超人的なイメージがありますが、この物語の主人公・橘はごく普通のサラリーマン。しかも、内向的な性格で、コミュニケーション能力が高いとは言い難い。そんな彼だから、当然、スパイの活躍を楽しむお話ではなく、いつバレるかとヒヤヒヤしながら読む羽目に。

ただ、彼は超が付くほどの美貌の持ち主であり、周りの目には陰のある寡黙な美青年に映ります。講師の浅葉もまた見栄えは悪くありません。見目麗しい二人がチェロを奏でる風景は絵になり、深く重厚感のあるチェロの音が神秘的で高貴な世界観を想像させられます。乙女心をくすぐるシチュエーションにうっとりしますね。

この潜入捜査は実際に起きた著作権裁判をもとに描かれているそうですが、著作権問題と並行して多くのテーマが散りばめられています。中でも人との繋がりの大切さ、温かさは重点的に描かれており、同じ趣味を持つ仲間の交流や音楽を通して得られる一体感によって彩られていく日常が印象的。一方で、著作権を守る使命感もあり、橘の戸惑いや葛藤は、自身に置き換えるとたまらないものがあります。

また、物語を通じて、音楽のヒーリング効果を感じられたり、実際に楽器を演奏してみたくなるような心動かされる印象深いシーンも。
そんな優しい空気が流れる中、突然放たれる一言や、嫌な偶然に心臓が止まりそうになるのがスパイ小説の醍醐味。心が温かくなったり冷たくなったりする展開の後ろから聞こえてくるチェロの静かで余韻のある音がさらに不安を煽り、良い結末を願わずにはいられないでしょう。

人の優しさと音楽に癒される。切なく優しい物語です。

著者:安壇美緒(アダンミオ)
1986年北海道生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2017年、『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(「BOOK」データーベースより)

『ラブカは静かに弓を持つ』集英社PVはこちら👇

チェロが奏でる曲がこの作品のイメージにピッタリです。

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