~我々は、ゴリラへの数々の非礼を心から詫びるべきである~
(京極夏彦氏コメントより)
こんにちは、くまりすです。今回はメフィスト賞満場一致の受賞作品・須藤古都離『ゴリラ裁判の日』をご紹介いたします。
story:
カメルーンで生まれたニシローランドゴリラ、名前はローズ。メス、というよりも女性といった方がいいだろう。ローズは人間に匹敵する知能を持ち、言葉を理解する。手話を使って人間と「会話」もできる。カメルーンで、オスゴリラと恋もし、破れる。厳しい自然の掟に巻き込まれ、大切な人も失う。運命に導かれ、ローズはアメリカの動物園で暮らすようになった。政治的なかけひきがいろいろあったようだが、ローズは意に介さない。動物園で出会ったゴリラと愛を育み、夫婦の関係にもなる。順風満帆のはずだったーー。
その夫が、檻に侵入した4歳の人間の子どもを助けるためにという理由で、銃で殺されてしまう。なぜ? どうして麻酔銃を使わなかったの? 人間の命を救うために、ゴリラは殺してもいいの? だめだ、どうしても許せない! ローズは、夫のために、自分のために、正義のために、人間に対して、裁判で闘いを挑む! アメリカで激しい議論をまきおこした「ハランベ事件」をモチーフとして生み出された感動巨編。第64回メフィスト賞満場一致の受賞作。(出版社より)
裁判
言葉を通じてコミュニケーションをとり、複雑な社会を形成することができる。進化の躍進により人類は大部分の生物から脅かされることのない存在になりました。特別な存在である人間を人間たらしめている最たるものは何と言っても高度な言語能力。この言語能力の有無は私たち人間と姿かたちが似ている類人猿との境界線でもあります。
しかし、もし仮に類人猿がその境界線を飛び越えてきたらどうでしょうか?
この物語は、人間のように言葉を操るゴリラ・ローズが人間に対して裁判を起こしたお話。
私はこの裁判の原告、つまり訴えを起こした側だ。しかし、法廷に備えられた木の椅子は小さすぎて、座ることができなかった。人間用の椅子しかないのだから、当然である。
「私」の正体はニシローランドゴリラのメス・ローズ。この物語の主人公です。
まるで人間のような複雑な思考に驚きますね。しかし、訴訟だなんて穏やかではありません。一体何があったのでしょうか。
「事件が起きたのは十月二十八日の午後四時。アンジェリーナ・ウィリアムズは二人の息子、ニッキーとアンドリューを連れてクリフトン動物園のゴリラパークに来ていた。母親が目を離した隙に、四歳のニッキーはゴリラパークの柵を越えて、エリア内に落ちてしまった。近くにいた群れのリーダーであるオマリがニッキーを捕らえると、周りの騒ぎに混乱してエリア内を引き摺り回した。ポプキンス園長が射撃チームを連れて現場に着いたのは、事件が発生してから十分以内。麻酔銃を使わずに実弾でオマリを射殺。(中略)動物園の対応に落ち度があると思う人は、なんでも言ってくれ」
陪審員が審議しているのは、動物園内で起きたゴリラ射殺事件。ローズにとって、夫のオマリの死は理不尽で受け入れがたいものでした。しかし、動物園側にはっきりと非があるとは言い難い気もします。この裁判、ローズに勝ち目はあるのでしょうか?
ローズ
私たちには言葉がある。他のゴリラがグォームと曖昧な気分しか伝えられないのに対して、私たちは自分たちの気持ちや欲求を正確に伝えることができる。何百倍も細かい情報を理解し合えるのだ。
手話を使ってコミュニケーションを取ることが出来るローズと彼女の母親はゴリラの中でも特別な存在。ローズは手話を使えるだけではなく、自尊心などの複雑な感情や状況対応能力などがあり、人間により近いゴリラのようです。
「それで、ケンカじゃないなら、何で一人で来たの?何かあったの?」
〈悩んでいる〉
「何を悩んでるの?よかったら聞かせてくれる?」
(中略)
〈ゴリラはいつか群れを離れる。私も離れるべき?〉
研究員のチェルシーと手話でスムーズな会話をするローズ。ゴリラの群れで暮らすローズは、ゴリラの習性と自身の気持ちの間で戸惑う事も多々あるようです。信頼関係を築いているチェルシーはローズにとって心強い存在にちがいありません。生まれ育ったカメルーンの大自然でローズは時には悩みながらも幸せな毎日を送っていたのですが…
「ずっと考えてたんだ。ローズは手話を覚えた他の類人猿とは違って、ほぼ完ぺきなアメリカ式手話を使えるだろ?同じ手話を使える人とは対等に話すことができる。それだけじゃなく、相手の言ってることも理解できるんだ。だから…」
「だから?」チェルシーは一瞬言いよどんだサムに続きを促した。
「ローズをアメリカに連れて行くべきだと思う」
ローズの知能の高さをはじめ、個性や素晴らしさを多くの人に知ってもらいたい。ローズと家族のように接してきたチェルシーとサムがそう思うのも無理はありません。ゴリラ代表としてローズの認知度が高まれば、絶滅危惧種としての保全活動や研究も盛んに行うことが出来るでしょう。
ローズがアメリカに行くことが良い結果をもたらすのであればそうしたいところですが、ローズの気持ちはどうなのでしょうか。ローズの運命の歯車が回り始めます。
感想
人間と動物が会話をする。夢があり、想像力を掻き立てられますよね。昔からファンタジーなどで描かれてきたこの夢を実現しようと、多くの科学者が動物との会話を試みました。しかし、体の仕組みにより、我々と遺伝子的な差異が小さいとされるチンパンジーですら言葉を発することは適いませんでした。ただ、動物は言葉を発することが出来ないだけで同種間であれば、単語や文章、幾通りもの構文を使って会話をしているそうです。
昭和40年代に入り、アメリカ式手話を習得した類人猿が次々に現れ、世間を脅かせました。実際に2000語以上の単語を操ることが出来たゴリラのココは「死の概念」をも理解していたとも言われています。
ローズも手話を使って人間とコミュニケーションを取れる特別なゴリラ。感情豊かなローズの視点で描かれるこの物語は、ゴリラの生態を知ることが出来るばかりか、人間を客観的に観察する面白さもあります。ローズに降りかかる困難の全てが人間によってもたらされたものであり、奇想天外なストーリーの中にローズの本能的な強さと無償の優しさが輝くのは、知能により繁栄を極めた人類に対する大いなる皮肉であろうか。
また、この物語に描かれている裁判はアメリカの動物園で実際に起きた事件をもとにしているそうです。その時の世間の反応を再現している場面も多々盛り込まれ、動物の味方である愛護団体やメディアなどの様々な反応に共感したり、複雑な気持ちになったり。
人間だけが特別な存在ではなく、生き物の頂点でもない。進化の隣人に指摘されるまでもなく、我々の思い上がりを今一度戒めるべきだろう。
1987年、神奈川県生まれ。青山学院大学卒業。2022年「ゴリラ裁判の日」で第64回メフィスト賞受賞。本作が初めての単行本となる。「メフィスト」2022 SUMMER VOL.4に、 短編「どうせ殺すなら、歌が終わってからにして」が掲載されている。2023年に新作「無限の月」発売予定。