エネルギー代謝と補充の反復、そのサイクルを強いられる労働こそが自分を強く支えてくれる
こんにちは、くまりすです。今回は芥川賞作家羽田圭介の「5時過ぎランチ」をご紹介いたします。
story
食欲のリズムとあわない、コントロール不能な現実世界。ヤクザから洗車を依頼された車のトランク付近に血痕を見つけてしまった、ガソリンスタンドの女性アルバイト(「グリーンゾーン」)、小麦アレルギー持ちの殺し屋(「内なる殺人者」)、国家権力を敵に回した写真週刊誌の女性編集者(「誰が為の昼食」)。食べるための仕事に従事することで、食べる暇もなくなっている男女を描く、3つの物語。([BOOK」データベースより)
ブラックな職場のお仕事小説?
一章「グリーンゾーン」の主人公の萌衣はアルバイト先で洗車を頼まれた車に血痕が付いていているのを見つけた。「トランクを開けたら殺すからね」と言うその車の持ち主の小指が欠けているのに気づき、「何も見なかったことにしよう」と心に決めるのだが…
主人公萌衣は職場のガソリンスタンドでの仕事に追われて、日々忙しい。ランチの時間もまともにとれないのは日常茶飯事、残業や休日出勤は当たり前の上、整備士という職業柄バイトといえ責任は重大だ。
そんな労働条件ながらも萌衣は仕事にプライドを持ち、職場の正社員よりも積極的に働く。
物語は萌衣が整備をする描写も多く、車のパーツの名称等が数多く出てくる。耳慣れない用語も多いが、車の不具合の個所を見つける作業は知識と経験が必要で、専門性の高さがうかがえる。
労働条件は一向に改善される気配がないが、萌衣は気にしない。空腹で働き続けることにさえ快感を見出す。
「自分と言う存在が、エネルギーを燃やしながら動くだけの単純な機関と化したかのような錯覚に陥るのだ。動くためには食べなければならず、食べるためには、動いて労働をしなければならなかった。」
ただ無心に働き続ける萌衣に、仕事観を決定づける出来事が…
空腹ミステリー
物語は、ミステリー部分も多い。
「周囲の風景は人が見たいと思うものしか照らされず、見たくない者は闇に隠される。」
夜の道、萌衣が車を走らせる。明かりが減っていくにしたがって、彼女の心の闇が次第に明らかになっていく。何故、無心になって仕事をしたいのだろうか。
そして彼女に不穏な影が忍び寄ってくる。
二章「内なる殺人者」の主人公リョウジは小麦アレルギー持ちのプロの殺し屋。ある出来事をきっかけに何者かに命を狙われるようになる。彼を狙う犯人は誰なのか…
リョウジは命を狙われつつも任務を遂行するが、彼もまた空腹である。意図してランチを取らないのは、相手の反撃に遭った場合の生存率を高めるためである。
「もう、六年にも及ぶ肉と野菜中心の食生活により、炭水化物の糖分に頼らずとも体脂肪を効率よくエネルギーへ変えられる体質になっている。」
小麦アレルギー対策が功を奏し、空腹時の労働(?)にも自信を見せる。
そんなリョウジの身に危険が迫る。
各章の主人公は皆ランチを取る間もなく空腹で労働条件も最悪だが、それを苦にすることもなく仕事を優先する。
前向きに仕事に取り組む様子は、むしろ爽快ですらある。
感想
著者の描く作品は、良いところも悪いところも含めた人間の内面が描かれていて面白い。ちょっとした狡さであったり、他人に対して否定的な感情であったりは人間誰しも持っている一面だが、マイナスに映りがちである。しかし、そういう一面を淡々と描くことにより、嫌な気分になるというよりは「他人の目から見るとそういう風に映るのか」「そんな風に思う人もいるのか」と、反面教師として捉えることが出来る。
また、人物の描写も独特である。
「細い眼は表情を作ろうとする気が全く感じられず、おかしいことなど何もないのに無理に笑ったり、悲しくもないのに神妙な顔をして迎合する必要のない人の顔。」
皮肉交じりの文章は、何故その表情に違和感を感じるのかという説得力があり、恐怖感も増し、物語にスパイスを利かせている。
食べるために仕事をしているのに、食べる時間すらままならないという本末転倒。
彼らの労働条件は過酷を通り越して違法なのだが、相変わらず仕事に全力集中だ。
(プロの殺し屋はそもそも労働ではない気もしますが…)
仕事ばかりの人生ってどうなの?と考えるか、そんなに打ち込める仕事があって羨ましい、と考えるか…日本の深刻な労働問題とも結びつく。
著者はその状況を否定も肯定もせずに答えを読者に委ねる。
1985年東京都生まれ。明治大学商学部卒業。2003年「黒冷水」で文藝賞を受賞しデビュー。2015年「スクラップ・アンド・ビルド」で芥川賞受賞([BOOK」データベースより)